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☆ひな人形豆知識☆

~人形の位置と上下(かみしも)の考え方~
ひな人形を飾っていて、毎年悩んでしまうのが人形を置く位置でしょう。なぜならパンフレットなどに拠っては殿と姫の配置が全く逆の物が有るからです。
同じ様に立ち官女の位置や右大臣と左大臣の位置にも疑問を持たれた事は無いでしょうか。
これらは関東風・京風として片付けられていますが、実は根本的な「日本古来の上下(かみしも)の考え方」が基本に有り、それさえ理解していれば
容易に理解できます。

この上下または上位下位とは何を基本に生まれたものでしょう。日本は古来より字の如く日の本(もと)で「太陽信仰」が基本に有りますから
「太陽が昇る・生まれる方向が尊い」という考えがあり、東が上位で西が下位としています。
ではそれが、人形の配置とどう係わっているのでしょうか。京都御所などの建物の向きを考えて下さい、それらは大抵南向きに建てられています。
そして正面(南)に向かって左側が左京区、右側が右京区となっています。これは我々が御所に向かって立った時とは反対である事に気づかれたでしょうか。
これを雛壇に置き換え、日の昇る方向が上位である事を考え合わせると、向かって右側が上位で左側が下位となる訳です。
ここまで納得して頂けたなら、「殿と姫の位置」も自ずとお解かりでしょう。随身の右大臣と左大臣も官位が上である「左大臣が右側」です。
立ち官女は少し分かり難いですが、口元が阿吽(あうん)を表現しています。ですから「阿形(あぎょう)を表している方が右側」となります。
余談ですが「神社の高麗犬や象鼻の位置」もこの「阿吽」の考え方と同じですし、舞台などでも「右側を上手(かみて)と言い上位、
左側を下手(しもて)と言い下位」となっているのも合わせて思い出して下さい。

では、関東風のパンフレットなどはどうして「殿が左側」なのでしょう。それは明治天皇が即位された時期に関係しています。
当時は折りしも文明開化で西洋文化が入って来ていました。
その時に即位された明治天皇が「西洋の風習」にならって皇后の右側(向かって左側)に立たれたからです。
これ以降、「関東風と京風では殿と姫の位置が反対」という現象が続いているのですが、どちらか一方が正しいと言う訳ではありません。

 


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